自己紹介

名前:中村 健吾さん
年代:20代
属性:学生
受験資格:法科大学院卒業・予備試験合格

受講されていたカリキュラム

■ 総合講義100

合格体験記

インプット

基本的に、総合講義100のテキストと、付属する論証集で勉強した。

ローの演習において、総合講義のテキストと論証集を用い、信頼できる先生方の指摘・添削や解説を両テキストに書き足していき、自分なりに改造していくことを意識していた。

基本的に、問題の事情を読んで、この論点を書けばいいという風に考えるのではなく、結論を導くまでの過程として何が問題になるのかということを意識していた。

そのため、論証を暗記しようとするのではなく、まずはなぜこの論証が問題になり、どうしてこういう風に論じているのだろうかというのを考えるように努めていた(クロロホルムなどがいい例かもしれない)。

それと同時に、後述する問題演習を単なるアウトプットと捉えるのではなく、インプットも兼ねているのだということを意識していた。

作成した答案は、他人に添削してもらう・もらわないを問わず、必ず自己添削を施すようにしていた。

そして、拾うことができた論点についても、表現、あてはめにおける評価がズレていないかを注意して検討していた。

逆に気付かなかった論点については、まず第一にどうすれば気付くことが出来たのかというのを意識して問題文の事情を見つめるようにした。

次に、この論点がメインなのかサブなのか、どこに位置付けられる論点なのかを検討するようにしていた。

その過程では、論点自体の性質などを基本書等にあたることも多かった。

これらを繰り返していくうちに、晩期においては、基本書にあたる回数も少なくなり、総合講義100のテキストと論証集だけで完結するようになっていたように思う。

アウトプット

何はともかく過去問演習をしていた。

予備試験の時は、予備試験の過去問を解いたし、司法試験の時は司法試験の過去問を解いた。

実際に受験してみて思ったが、過去問の演習量の多さは、そのまま本番の時の手応えにつながっていく。

演習量が圧倒的に少なかった公法系などは見るも無残な手応えであった。

演習書についても、著名なものをいくつか扱ったが、その利用方法としては、過去問でカバーしきれなかった論点についての問題を答案構成するという程度だった。

この論点は、こういう事情が与えられていて、この事情があるからこそ議論の実益が生まれるというのを押さえるようにしていた。

答案作成において注意していたこと

大きく分けて3つである。①三段論法の死守、②議論の実益を示す、③一つの事実に一つの評価をする、というもの。

①については、言わずもがなである。本番における極限の緊張状態では、この三段論法の意識すら覚束なくなってしまうため、絶対に三段論法の流れを示すように気を付けるべきである。

②については、自分なりに考えた、論点主義からの脱却法である。

問題になっているはずの論点について、知ってる論点に引き付けて無理やり書いてしまうのは、採点上激しく嫌われる行為として知られている。

これを回避するために、一言でもいいので、なぜ自分がこの論点を検討するのかを宣言してから論証に入るようにしていた(多分この意識があったから、令和3年刑法の設問1を守り切ることができた)。

③として、一つの事実に何個も何個も評価をしていては、話が進まないし、何の話をしているのかが全くわからなくなってしまう。

そこで、一つの事実に対して一つの評価を加えることだけを意識して、それをあてはめで積み重ねるという書き方を意識するようにした。

これらを意識していたからこそ、司法試験に合格することが出来たのだろうと思っている。

言ってしまえば、これらは多分当たり前のことだと思う。

しかし、合格者がよく言うように、本番ではこの当たり前のことが全くできなくなってしまうので、普段から取り組み、身体に染みつかせておくことが求められるのではないだろうか。